アンバランス・・・自然界のバランスがもし崩れたら?
(のちに1966年1月2日〜7月3日
1967年12月14日
全28話
TBS系ウルトラQとして放送)
というSFテーマで意欲的にとりくんできた一同に「怪獣を出せ」
「円谷といったら怪獣だろう」
(ズボラヤではない。つぶらやと読みます。エンヤと読む人もいた(円谷英二監督はエンヤさんとも呼ばれていたという)、読めない方のためにシナリオにもどうだまいったかのひらがな表記だっ。他業種も理解しようぜぃ)
想像の産物だった怪獣は、人々に強く望まれてこの世に生を受けたのか?
白黒のオープニングはまさにウルトラQ(らしい・・ぐはっ、すみません管理人まじ、生まれていません。)
あと5時間しかない。雑誌で見て一度は来てみたかった素敵なレトロな雰囲気の喫茶店にカイトと行きたくて時間を気にして焦るミズキ。ついでに時間があればケーキも食べたい。
(焦る気持ちに激しく同意)ばく進しているミズキの視界には、まったくはいらなかったであろう。つーか邪魔よと突き落とされなかっただけ幸いな歩道橋でうたいまくるシンガーソングライター
Singer Songwriter 70年代、米国で起こった大衆音楽の政治上・社会上・芸術上などの、運動。
それまでの多くは、作詞・作曲・歌手がそれぞれ分業されていたが、自分で作詞・作曲した楽曲を演奏することを特徴とする。当時はフォークムーブメントの流れもあり、歌手と歌の主人公の人格の同一性が求められることが多かった。
あーあ幸せな日々が♪・・どんどん君が見えなくなるよ♪
歌詞の通りにまてよと追いかけるカイト
そのころヨシナガ・ユカリ教授は、怪獣災害についての多角的討論(幅広い視野から意見を出し合って議論をたたかわせること)をテーマにしている、レッドキングやピグモンを背景に演出した報道番組に出演していた。
出席者は、ヨシナガ教授の他、上田耕生 (赤星昇一郎←俳優名、ティガ/シーリザー登場の回・・・「怪獣が出てきた日」の怪獣評論家の名前が、赤星さん演じた上田耕生。この作品と同じ小中千昭氏脚本
)
人見 信(報道番組のあせをふきふきの司会のアナウンサー)
SF作家 佐橋健二
ヨシナガ教授は、日本経済を深刻にしている怪獣が日本に頻度高く出現する理由として製造元・直販であるからではなく、プレート(地球表層部を形成する厚さ一〇〇キロ前後の硬い岩板。ユーラシアプレート・太平洋プレートなど十数枚が地球表面を覆っている。)に起因するものと解説
渋谷にあるNHK BShi 2006年4月9日(日)放送開始予定 生物惑星WoO
(アンバランスの前に企画があった番組、当時頓挫した。)に、呼ばれて、飛び出てジャジャジャーーンのゲロンガ、渋谷246あたりの歩道橋を壊しまくる。
渋谷のど真ん中でありながら、何故か通行人が人っ子一人通らないことをいいことに、オンステージにしていたシンガーソングライター命の危機(一難さってまた一難)
折角ダッシュがダッシュで到着した喫茶店。コーヒーだけで我慢したにもかかわらず、コーヒーさえ運ばれてくる前に復帰してくださいとエリーから指令が入る。(うおーーん泣)
すみませんマスターと慌てて立ち上がる二人にあの怪獣の歯は1本折れている。あれを折ったのは40年前の自分だと告白するマスター。・・・(嬉しそうである。汗)
しかし怪獣は当時より巨大化していた。いこう・・失礼します。(動揺)カイトはミズキを促し、ミズキも気になるが出動
1964年シーン13-36-1
本番スタート。この監督は、満田みずほ氏 実際にウルトラQを撮っていた監督である。
オッケーシーンながら絵を見て驚くのでは怖さが伝わらない。怪獣を出さない方針だったのではないかと監督に尋ねる俳優たち
テレビ局が出してくれって、
こどもたちは怪獣が大好きなんだよ(すみません大人も怪獣が大好きですが仲間にいれていただくとまずいでしょうか滝汗)
アングルオッケーのつり橋にお払い箱にならないように顔を売っとかないという俳優と、いや私は売れているとう女優。強い人がかばうものだと女性の影に隠れようとする男優(ウーマンリブ)
ごちゃごちゃやってる横を本編の監督本人である
通りかかったまたぎ(熊を主に狙う猟師)姿の
村石監督
「あんたら牛鬼が出るよ」と番組予告をして通行していった、ちなみに、村石監督は、ダイナ「平和の星」で、バーのマスター役で出演、ダイナのオリジナルビデオでも同じ役で出演している。
「おっさーーんそこ写るんですよーー」「おっさーーん」(涼しげな顔をしてずんずん釣り橋を渡る村石監督のおっさん。だんだん円谷スタッフ総出の豪華な配役。俳優と両立、自作自演モード突入。)
妖怪なんて時代遅れだ。(こらこらこら妖怪大戦争になるぞ)
渋谷に出現したゲロンガ(ゲロンガは、ウルトラQ後半に実際に登場予定であったが、後半ウルトラQの放送がなく、ウルトラマンが繰り上がり放送されている。
劇中では、撮影クルーがゲロンガに襲われたために撮影したアンバランス(ウルトラQ)のフィルムが燃えて消失し、幻となったと説明)は、近隣の住民を巻き込む2次災害を懸念されダッシュにより、代々木公園に、うし追いをかけられていた。
ミズキとカイトはゲロンガの炎で不時着。
一緒では変身できない二手に分かれて代々木公園から怪獣が出ないように奮闘だ。
あの怪獣を知っている。
40年前まだ若かった(当然だが)SF作家は、俳優として次の現場の下見の洞窟にいって戻らないセカンドのナナマルさんをスタッフみんなで探しに洞窟に入った。
ナナマルさんは何者かに急に襲われ足に負傷うずくまっていた。怪我人を救出に大勢で担ぎ上げた時、洞窟深くにそれほど大きくないゲロンガの姿があった。
ここでふせぐしかない。逃げろといわれたが踏ん張るケンちゃん(超星神グランセイザーセイザーゴルビオン反町誠役の岡田秀樹さん)とカメラのフラッシュを武器に戦う強い女優(ジャスティライザーからは神官みたいな役?の天堂澪、江口ヒロミさん)
さすがただものではない。ただものだが、男、横山巡査、民間人に負けてたまるかと、弾の入っていない拳銃を撃とうとする警官
フィルムは燃え、ちきしょーとカメラのスタンドで殴りかかった今はレトロ喫茶のマスター西郷保彦
の一撃がゲロンガの歯を強打。歯が折れた。それが急所だったのかゲロンガの撃退に成功した。SF作家 佐橋健二は一気に語り顔を上げた。
危機にカイトはウルトラマンマックスに変身する。
避難してください。いつまで放送できるか分からない怪獣が迫ってきます。報道特別番組に切り替わった多角討論会場、SF作家 佐橋健二の独壇場にお口あんぐりら状態だった解説者上田耕生は、さっさとてれびくんたちを抱えて脱出する。
突撃してくるゲロンガを、マックス跳び箱代わりに開脚とびでかわす。
ゲロンガの上にのってむぎゅむぎゅマックスマッサージ。
足払いでゲロンガを引き倒すが怒ったゲロンガは、飛び掛ってくる。怪獣ジャンプーーもう一度往復の怪獣ジャーンプ・・ついにマックスの上に馬乗りになると顔面に向けて火炎放射攻撃だ。
マックス2回かわすとゲロンガの口を手で挟み、ふさぐ(もごもご、お口が火の海)
マスター西郷保彦
の急所は牙であるという言葉を思い出したマックス、マクシウムソードで残った方の牙を切り落とす。
いたたたたたた・・・ゲロンガは、お顔を抱えてしゃがみこむ
ゲロンガの大きな目から大粒の涙が落ちる。
怪獣が泣いているわ。
マックスは、ゲロンガを持ち上げると奥多摩地中深くに埋没してきた。(おーいマックーースここは、鏑谷諸島じゃねーぞBy奥多摩)
マックスの飛行のあとゲロンガの流した涙は虹となり
40年前のウルトラQの再会の暗示であろうか佐橋健児、西郷保彦、ヨシナガユカリの3人は寄り添って真っ青な空を見上げた。
「怪獣は何故現れるのか、ずっと考えていた。
日本人は怪獣をずっと以前から
知っていた。いや想像してきた。
怪獣が実際に現れるようになったのは、人間が怪獣の出現を望んだからではないのか?
古来より人間は怪物というものを数多く夢想してきた。
人は怪物を想像しないではいられなかった。
人の力を超えた強大な力、巨大な体を持つ怪物の姿、それに人は強く憧れてきた。
その創造のエネルギーが怪獣を形どられせているのだろうか?だとすれば・・ウルトラマンの存在もまた?
(当サイトマニア掲示板ウルトラマンは何故降臨するかをご覧ください。我々が出す答えも同じように一つではありません。ちなみに管理人の意見一部抜粋・・
そもそも制作者の空想(SF)夢(ファンタジー)の世界からウルトラマンは出現したのではないのだろうか?
ウルトラマンの生みの親のお一人金城氏は、沖縄県南部群の出身で、激しい沖縄の合戦を目の当たりにし、ご自身の母の足が爆弾で吹っ飛んだその瞬間すら目撃したことがあるという成育背景が伝えられている。
そんな時、彼は、心から祈らなかったのだろうか「神よ助けてくれ」と
ニライカナイとい聖地が沖縄にはあり、古来より沖縄では、そこから神が来訪し人々に救いと恵みを与えてくれるといわれている地があると聞く。
大いなる力により自分達の罪を許し、助けてくれる存在。
神様・仏様
助けてくれ心からの魂の叫びに差し伸ばされた手をつかんでくれたもの、それがウルトラマンだったのではないか。
自分達の罪を許し無条件で人間を愛してくれる存在。
危機を守り、救ってくれ人間の代わりに闘ってくれる存在。
それらを作り上げてしまった。
仮にそうして欲しいという人の願いから創作されたものであるなら
無論人間が正義、怪獣は悪であるはずもなくその矛盾と葛藤に制作者は後に苦しんでいったのかもしれない。・・
その他たくさんの意見が寄せられています。)
小さかったゲロンガが40年でこんなにも巨大化してしまったのは、人々の怪獣の出現を望む想像力が大きく深くなってきているということなのだろうか?強く、大きく、すべてを破壊しつくす力をもつ存在。
人間の想像力は、創造力を生み出す。
創造と破壊。生と死。光と闇。これらは、表裏一体である。創造は、常に破壊を伴い。破壊は、常に創造の源、創造の始まりである。
創造と破壊が表裏一体のものであるならば、破壊と創造を分つものはいったい何であろうか?一方でそれを創造といい。もう一方では、それを破壊という。
破壊を創造に分かつもの、それは人の意志ではないだろうか?。
つまり、自らこうありたいという意思である。己の人生や生き様が創造的なものになるか、破壊的なものになるかは、自らの意志の現し方によって変わってくるのではないのか。
人は、強く怪獣の出現を望んだかもしれない。しかし同時にウルトラマンの出現も強く望んだのかもしれない。
破壊を恐れては、創造はできない。しかし、創造のない破壊の行き着く先は、滅亡である。
そして付け加えるなら創造はプロセスであり結果ではない。
結果を生み出すものは日々の努力である。
「怪獣は何故現れるのでしょうか?
その答えは一つではないのかもしれません。」
あなたも一緒に考えてみませんか?
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